ビジネスブログ

グローバルクリーン解体 株式会社菅吉建設
2016年07月16日 [泰平記]
毎日、毎日主食としてご飯を食べていますが、電気釜でご飯を炊いていると、決められた取扱いによって簡単にご飯は出来てしまい、何の不自由もなく生活しています。私の子供の頃は釜でご飯を炊いていました。
かまどに薪木をいれ、ご飯を炊くのですが、その日により出来が違うのです。水づもりから火加減まで奥が深いのです。自宅では台所は土間で別部屋で釜屋と呼んでいて、ご飯炊きを手伝ったものです。秋になると米の収穫も終わり籾ができるので、これを薪にして春までご飯を炊いていました。今思うとこれでできたご飯は最高に美味かったように思います。この時できるお焦げがまた美味い、香ばしくて食感もいいし、何杯もお代わりした思い出があります。今は食べられません。籾かまを求めて食べてみたいなあ!

2016年06月11日 [泰平記]
入梅の季節に入ろうかというのに今日は快晴です。気温も27・28℃と厚くなりそうです。
そう言えば子供の頃、薄暗くなる時分に曾祖母と風呂に入った思い出があります。五右衛門風呂なので、まあ釜茹で状態となります。釜の足元には板で作った桟を足で静かに押し下げて周りの鉄に触れないように、そっと入るのです。曾祖母は熱い風呂が好きで私は茹蛸みたいになり、大変な思いをしたものです。

2016年04月09日 [泰平記]
 桜の満開の季節となりました。
 子供の頃、春から初冬まで紙芝居屋さんが天候が悪い時は除き毎日やってきました。
 近くの橋の上で紙芝居をするのですが、子供たちを集めるために太鼓をランドセルの逆の形で担ぎ、右手に太鼓、左手にバチを持ち軽快にズンダタッタ、ズンダタッタ、ドガドガ、ドガドガ、ズンダタッタ、ズンダタッタと音を響かせながら道路を歩き出すのです。子供たちはその音を聞きつけてどこからともなく集まってくるのです。昨日の続きを知りたくてワクワクしながら見に行ったものでした。紙芝居を始める前に板煎餅に水飴を載せて当時10円程度で売っていたように思います。また、小麦粉を練って固め動物の絵を手で切り抜いて当て、味付けするめをもらうなど紙芝居屋さんは工夫していたようでした。私は滅多に水飴を買うことが出来ないので後ろの方で終わるのをじっと待っているのでした。紙芝居が始まっても後ろからそっと見ている状態でした。紙芝居屋さんも周りの子供達も別に気にしていないようで普通に始まり、普通に終わる。今みたいにいじめなどということはなかったように思います。子供たちの服装を見てもお下がりが多く、肘などに継当てし着ているのが当たり前の時代でした。
 紙芝居屋さんはテレビの普及とともに来なくなりました。数年したある時、兄が紙芝居屋さんをパチンコ屋さんで働いているのを見かけたと言っているのを聞いて子供ながらに凄く懐かしく思ってことを覚えております。

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